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私が子供のRSウイルス入院に付き添った話
全ての始まりは、生後五ヶ月だった息子の、些細な鼻水と、軽い咳でした。「また、いつもの風邪かな」。そう、高を括っていた私は、その数日後、人生で最も長い、そして最も恐ろしい一週間を過ごすことになるとは、夢にも思っていませんでした。発症から三日目の夜、息子の呼吸は、明らかに異常をきたし始めました。寝ているはずなのに、肩で浅く、速い呼吸を繰り返し、息を吸うたびに、小さな胸が、痛々しいほどにペコペコとへこむのです。そして、聞こえてくる「ゼーゼー、ヒューヒュー」という、まるで笛のような呼吸音。私は、いてもたってもいられず、夜間救急病院へと車を走らせました。診察の結果、告げられた病名は「RSウイルスによる、重度の細気管支炎」。血中酸素飽和度は危険なレベルまで低下しており、「即入院です」と、医師は厳しい表情で言いました。その瞬間から、私の付き添い入院生活が始まりました。小さな体におびただしい数の管を繋がれ、酸素マスクをつけられた息子の姿を見るたびに、私の胸は張り裂けそうでした。「代われるものなら、代わってあげたい」。そう、何度思ったことか分かりません。病院の狭い簡易ベッドで、息子の苦しそうな呼吸音と、モニターの電子音を聞きながら、ほとんど眠れない夜が続きました。看護師さんが、数時間おきに、息子の鼻や口から、粘り気の強い痰を吸引してくれます。そのたびに、息子は、この世の終わりのように泣き叫びました。その姿を見るのは、本当につらかった。しかし、その処置の後、ほんの少しだけ、息子の呼吸が楽になるのが分かりました。医療とは、時に、非情な優しさなのだと、痛感しました。食事も、喉を通らず、ただ、点滴だけが、息子の命を繋いでいる。そんな状態が、三日間続きました。しかし、四日目の朝、奇跡は起きました。あれほど苦しそうだった呼吸が、少しだけ、穏やかになっていたのです。ミルクも、ほんの少しだけ、飲んでくれました。その日から、息子は、驚くべき生命力で、日に日に回復していきました。そして、入院から一週間後、私たちは、ようやく家に帰ることができました。あの入院生活は、私に、当たり前の日常がいかに尊いものであるか、そして、我が子の命の重さを、これでもかというほど、教えてくれました。子供の健康を守るためには、親の「観察眼」と、「躊躇しない決断力」が、何よりも大切なのです。